2018年5月10日(木)
『それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り…。』ルカによる福音書24章50節~52節
この事件の中に、対照的なふたつの事実の調和が見られるのは、まことに驚くべきことです。
ここには「別離」と「喜び」とが同時に語られているのです。
別離。
これほどにつらいことはありません。
私は人が泣くのを何度も見てきました。
戦争中、婦休兵列車が再び前線へ出発するときの痛ましさ。
愛する者の死に立ち会う悲しみの経験。
そして今、弟子たちは主イエスと別れます。
主は御父のもとへ帰ろうとなさっています。
弟子たちの頭の中には、数々の思い出が駆け巡ります。
主とともに、町々、村々、荒野を旅したこと。
主が神の国の奥義を語られた静かなひととき。
主が彼らの眼前で大いなる奇蹟を行ってくださったこと…。
しかしもう、すべては終りました。
主は「彼らから離れて行かれた」。
私たちはそこに悲哀を想像します。
ところが驚いたことには、聖書は「非常な喜び」を記しています。
いったいなぜでしょうか。
弟子たちは、彼らの主人が今や万物の王となられたことを理解したのです。
ヒトラー時代に、シュヴァーベン地方のひとりの農夫が秘密国家警察に呼び出され、政治信条を尋問されて、彼は答えました。
「私は独裁主義者です。
主イエスの独裁を信じます。
主は万物の王です」。
この男が南部なまりで語った同じことを、弟子たちはアラム語で告白したのです。
詩人G・テルシュテーゲンは歌います。
「みそばに近くはべらずとも、わが心、喜びにわき立たん…」。
主よ。
ご栄光で私たちの生涯をくまなく照らしてください。アーメン
God Bless You!!
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