2018年4月19日(木)の手紙

2018年4月19日(木)


『こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。』ヨハネによる福音書20章20節


その若い金物細工人は頑丈な手をしていました。
友人たちはみな、君ならばハンマーなしで板に釘をぶち込めるだろうと言いました。
年月がたって、彼は成功し、工場を持つまでになると、自分の分厚い手を恥じるようになります。

イエスの場合も、復活ののち、同じではなかったかと、人は考えるかもしれません。
十字架の釘あとは不名誉のしるしであったからです。

しかしイエスの場合は違います。
栄光の御姿においてもなお、主が十字架の傷跡を示されたという事実は、私たちを驚かせます。

黙示録では、ヨハネは天の栄光に目を奪われます。
彼は全能者の御座を見たのです。
また天の軍勢を見ます。
そして天国の中心に何を認めたでしょうか。
ほふられた小羊です。
十字架の傷を身に負う神の御子でした。

さらにヨハネは、輝きと力とを持って再び来られるイエスを見つめているとき、主が「血に染まった衣」をまとっておられるのを発見します。

使徒パウロは、栄光の主イエスにお会いしました。
ダマスコの途上で主を見たのです。
それなのに…。
彼は二つの大陸に何を伝えたでしょうか。
「私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは何も知らないことに決心した」と言うとおりです。

復活の主がただの華やかな勝利者ではなく、どこまでも罪人の救い主、贖い主であることは感謝すべきことです。
このような救い主が私たちには必要です。
きょうも、明日も、そして死の時にも。

主イエスよ。
主の血を、世のすべての宝にまさるものとさせてください。アーメン

God Bless You!!


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