2018年10月19日(金)の手紙

2018年10月19日(金)


『テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。』使徒行伝16章14節


「私だって神を信じているよ」と、ある人が言いました。
すると、相手が答えます。
「なるほど確かに。
だが、あなたは神を愛していないし、恐れてもいない。
そういう信じ方ならば、悪魔だってするのです。
しかも悪魔は神を拒む者ですよ」。

商人ルデヤの場合は違いました。
彼女は「神を敬う」人でした。
神に対してまじめな人でした。
神の命令に本気で従おうとしたのです。
祈り場の集まりにも出かけて行くほどでした。

そうであるならば、それで充分ではないでしょうか。
いいえ。
神との平和を得るためには、また、喜びと確信に溢れるためには、これで充分とは言えません

ルデヤほどにも達していない、いわゆるキリスト者が、今日も多くいます。
自分が今、神とどのような関係にあるのかを知らないために、彼らは根底においてなお、苦しみの生涯を送っているのです。

ルデヤには、自分の欠けを知る大転期が訪れました。
「主が彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた」という、その瞬間が訪れたのです。

パウロが何を語ったのか、私たちは知っています。
彼は主の十字架について語りました。
この十字架において神は、信仰をもってイエスを迎えるすべての人に対して、平和を示してくださったのです。

神の前に日ごとに重ねる私たちの罪を、神の御子は十字架の上で償ってくださいました。

ルデヤは、死んでよみがえったイエスのうちに、神の救いを認めました。
また、自分や自分の努力にではなく、このイエスにこそ救いがあるのだと理解しました。

イエスにあって、彼女の心は平和、喜び、確信へと導かれたのでした。

主よ。
私たちの心に御子の十字架をお示しください。アーメン

God Bless You!!


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