2017年3月23日(木)の手紙

2017年3月23日(木)


『あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、』マタイによる福音書20章26節


弱くなりたい人はいないので、みんな強いふりをする。
怒ったり泣いたりという感情の力を使って、他人を支配する人がいる。
性格を用いる人、知性で相手を威圧しようという人もいる。
こうして強い人という幻想を作り上げるけれど、これらはみな、実際は弱さのあらわれなのだ。

本当に強いなら、自分の限界を受け入れ、神に頼らなければどうにもならないと勇気をもって認めるだろう。
だから、本当の強さは、まるで弱さのように見えるのだ。

パウロが苦しみを取り除けてくださいと祈った時、神は「わたしの恵みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」と語られた。

それでパウロは、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」と、私達が困惑するような言葉を語っている。

イエス様の地上での宣教が終わりに近づく頃、弟子の中に目立つ地位を獲得しようと奮闘する者があらわれた。
イエス様は彼らが議論している時をとらえて、神の御国はこの世と違うと教えられた。
そこでは、弱い立場に進んで甘んじる人が、偉大な者とされる。

これは、厳しい真実だ。
私達なら、真実の弱さよりも幻想の強さの方を好む。
だけど、人は他人を支配するのではなく、むしろ他人に仕えようとする時に、本当に強くなれる。

神は、このことに気付いて欲しいと、私達に願っておられる。

God Bless You!!

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