2017年10月5日(木)の手紙

2017年10月5日(木)

『イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。」ヨハネによる福音書6章26節


「主は私に、『私によって生きよ』と語られた。
つまり、主から受けるものではなく、主のいのちによって生きるように、と教えられたのだ」と、ある人が言った。

ヨハネによる福音書6章には、イエスによって生きていきたいと願った人々が登場するけれど、その意味はかなり違っていた。
この人たちは、イエスにではなく、イエスに期待する事柄に対して熱くなっていた。
イエスが食事を与え、ローマ帝国の圧政からも解放してくれると期待していたのだ。

イエスからパンと魚を食べさせてもらったこの人々は、このお方が自分たちのために何ができるのかを確認した。
イエスはこの人たちの関心、つまり、違った意味での王になって欲しいと望まれていることをご存知だった。
それでイエスは、この人たちから退いていかれた。

だけど、翌日も人々はイエスを捜し、見つけた。
そしてまた、自分勝手な期待をもって、イエスについて行った。

だけどイエスは局面を一転させて、「わたしがいのちのパンです」と言われた。人々が願ったものは、より良い生活だったが、イエスは永遠のいのちを与えるために来たと言われた。
イエスを信じる者だけが。永遠に続く本当の満足を手にする。

イエスに従おう。
「パン」をくださるからではなく、このお方が、神との永遠の交わりという、私たちの心の奥深くにある渇望を満たしてくださるからだ。

God Bless You!!

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