2015年10月19日(月)の手紙

2015年10月19日(月)

『キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか』ルカによる福音書24章26節


アブラハム・リンカーンは、田舎の貧しい家庭に生まれたけれど、政治の世界で最高の地位にまで上り詰めた。
南北戦争の暗い時代、リンカーンは温情豊かで毅然とした大統領だった。

だけど、彼の人生には常に心の痛みと憂鬱が同居していた。
この激しい苦しみが、彼をイエス・キリストに導いたと言われている。

リンカーンは、イリノイ州の故郷の町で、群衆にこう語った。
「スプリングフィールドを離れる時、『祈ってください』と人々に頼みましたが、私はクリスチャンではありませんでした。
息子を葬った時は、人生で最も辛い時でした。
しかし、クリスチャンではありませんでした。
けれども、何千人ものわが国の兵士の墓を目にして、私は自らをキリストに捧げる事にしました。
私は、イエスを愛しています」。

人生最大の苦しみが、より深く救い主を理解させてくれる場合もある。

二人の人がエマオへの道を行きながら、ナザレのイエスがいわれもなく殺された事を嘆いていた。
すると、見知らぬ人が来て、救い主の受難について聖書から教えてくれた。
この見知らぬ人は、イエス様ご自身であり、その教えは彼らに平安を与えた。

心の痛みは、私達の目を救い主イエスに向かわせてくれる。
困難は、他の方法では学べない事を教えてくれる。
イエス様は、私達の苦しみを担い、一見無意味なその苦しみに、意味を与えてくれる唯一のお方なのだ。

信頼しよう。

God Bless You!!


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