2013年8月8日(木)

2013年8月8日(木)


『というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである』テモテへの第二の手紙1章7節


もし、ある朝、静寂の中で目覚めると、扇風機のゆるやかな羽音、冷蔵庫のうなり声が聞こえなかったら。
窓の外をちらりと見ると、家々の明かりがなかったら。
そう、朝起きると、その町全体が停電していたら。

テレビのニュースは見れず、コーヒーメーカー、トースター、ドライヤーも使えない。
電力なしで一日を始める事は、実に不便で生活を混乱させるだろう。
まるで、大災害のようだと感じるかも知れない。

じゃあ、私達の霊的充電をしないで、一日を始めたらどうなるだろう。
聖書よりも新聞を読む事に時間を割き、聖霊様よりもテレビに耳を傾けていたら。

こんな状態なら、気難しい人や困難な状況に置かれた時、きっと「力と愛と慎みの霊」じゃなく、「臆病な霊」で対処してしまうんじゃないだろうか。
私達の霊的状態は、暗黒の中で服を着て髪をといた人のように、パッとしていないに違いない。

停電はすぐに終わっても、神様を求める事から一日を始める事をやめてはいけない。
神様の力は、私達が成功したり幸せになるためにあるんじゃない。
それは、神様の力によって生きて、イエス様の栄光をあらわすためにあるのだ。

God Bless You!!

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