2013年8月6日(火)

2013年8月6日(火)


『わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである』ホセア書14章4節


私達は、不従順が招いた結果じゃなく、不従順そのものを悔いるべきなのだ。

たとえば、お父さんが芝を刈っている途中で買い物に出かけたとする。
芝刈り機を花壇の隅に立てかけて、一緒にいた子どもに「決して触ってはいけないよ」と言った。
だけど、子どもは言いつけを守らないで、それをグッと押すと、何と急に動き出して、花をなぎ倒してしまったのだ。

お父さんが帰って来ると、子どもは泣きながら「わざとやったんじゃない!」と言うだろう。
だけど、お父さんは「芝刈り機を触らなかったかい?」と尋ねた。
子どもは、芝刈り機に「わざと」触ったのだ。
子どもの罪は、花をダメにした事じゃなくて、お父さんの言いつけを守らなかった事だった。

ホセアは、神様に従わないイスラエルの民について、「こんな事になるとは思わなかった」と泣きじゃくるのではなく、神様の教えを知っているのに、それに従わない事を「わざと」選んでしまったと正直に告白して、どうか憐れんでくださいと叫んだのだ。

あなたは、仕出かした不始末を見て嘆いているのか。
それとも、愛する神様を悲しませた罪そのものを見て嘆いているのか。
もしそうなら、神様は喜んであなたを赦してくださるだろう。

God Bless You!!

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