2013年8月23日(金)

2013年8月23日(金)


『見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである』ヨハネによる福音書16章32節


ある人が、短い手紙を書いていた。
誰に送る訳でもない手紙だ。

「身体が不自由で、車椅子に座っている。
神様がいつも一緒にいてくださると分かっていますが、話し相手がいなくて寂しいのです」

「寂しい」という一言には、まさに荒涼とした響きがある。
年齢や人種、経済状態や知的レベルは関係ない。

アインシュタインは言った。
「これほど世界中に知られているのに、これほど寂しいなんて奇妙な事だ」と。

神様は、親しい関係性の中に生きるように、人間を創造された。
この世に罪が入り込む前から、人がひとりでいるのはよくないと言われた。
多くの人が、しばしば虚無感を訴えているのは、そのためじゃないだろうか。

イエス様も寂しさを知っておられた。
弟子達が見捨てていった時は、言葉に表せない程の孤独を経験されたに違いない。
だけど、天の父なる神の存在は、その孤独を補ってもあまりあるものだった。

イエス様とその御言葉を信じるすべての人達には、この主との親しい関係が与えられている。
確かに、自分の寂しさは、人との交わりを求める事で軽減されるだろう。
人は、ひとりでは生きてはいけないからだ。
人の温かさや、優しさ、思いやり、励ましがなかったら、生きてさえいけないのかも知れない。

だけど、自分がひとりぼっちだと感じたなら、誰も優しくしてくれないと感じたなら、イエス様が、「いつもあなたと共にいる」と言われた事を思い出して欲しい。
イエス様を知る人は、決してひとりじゃないのだから。

God Bless You!!

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