2013年7月31日(水)

2013年7月31日(水)


『エフライムよ、どうして、あなたを捨てることができようか。イスラエルよ、どうしてあなたを渡すことができようか。どうしてあなたをアデマのようにすることができようか。どうしてあなたをゼボイムのように扱うことができようか。わたしの心は、わたしのうちに変り、わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている』ホセア書11章8節


預言者ホセアは、妻ゴメルの姦淫によって傷ついていた。
ホセアの気持ちは、異教の神に魅せられて邪悪な行為をしたイスラエルの民を見た、神様が抱いておられた気持ちそのものだった。

神様は、優しい夫であり、父でもあるけれど、イスラエルはその愛を踏みにじったのだ。
神様は聖なるお方なので、罪を罰しなければいけないけれど、同時に深い苦悩を感じられた。

数世紀前、イエス様は地上の人々のすべての罪を担って十字架の苦悩を忍ばれた。
だけど多くの人は、イエス様の愛に今でも背を向け続けている。

愛とは、傷つきやすいものだ。
愛には、一切の見返りの保証がない。
愛する事には、大きな犠牲が伴う。
だけど、愛さなければ、もっと大きな損失を生み出す事だってある。

神様は、私達を愛し続けておられる。
そして、神様に愛されている私達もまた、同じように愛し続ける事ができるのだ。

God Bless You!!

a:98 t:1 y:0