2013年7月13日(土)

2013年7月13日(土)


『わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか』ルカによる福音書6章46節


「私にとっては○○が大切だ」と言っても、その言葉とその人の実際の行動が一致していない事がある。

例えば、5歳の娘が自分の人生で最も大切だと言うある会社役員は、朝たいてい娘が起きる前に出勤し、夜は娘が眠った後で帰宅する事が多いという事に気付いた。

そこで、娘と一緒にいる時間をとるために、ある土曜日、娘を職場に連れて行った。
娘は周りをきょろきょろ見回した後で、「パパ、ここがパパの住んでいるところ?」と言った。
彼は娘を大切だと思っているかも知れないけれど、彼の行動は、それを表わしてはいなかったのだ。

勿論、これは架空の話だけれど、イエス様も同じような事を話された。
イエス様の事を考えると、暖かい気持ちになれるとか、「信じます」と口先だけで言うだけでイエス様に従わない人達に対して、警告を与えられている。

この事をはっきり示すために、賢い人が建てた家と、愚かな人が建てた家のたとえを話された。
賢い人は固い岩の土台に家を建てた。
愚かな人は、砂地に家を建てた。
このたとえの結末は、神様に従う人と従わない人の結末を表わしている。
神様に従う事は、イエス様を崇めると同時に、人生の嵐に耐える力を与えてくれる。
だけど、口先だけの信仰は、何ともろいのだろう。

私達が何を一番大切にしているかは、言葉じゃなく行動が表わしている。
だから、永遠に残るもののために、時間を使おう。
過ぎてゆく時間を、しっかりと掴もう。
そして、言葉と行動がひとつであるようにと願おう。
それが、イエス様の生き方だったから。

God Bless You!!

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