2013年7月12日(金)

2013年7月12日(金)


『わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである』ヨハネによる福音書15章2節


どのような畑でも、農夫は枝を剪定して、より多くの実がなるようにするものだ。

信仰の面でも、神様は、時には私達をぶどうの枝のように扱われる。
私達の人生を剪定されるのだ。

枯れた枝だけじゃなく、生き生きとした枝でさえ、刈り込まれる事がある。
それは、豊かなより良い実りのためだ。

ぶどう園の農夫である神様は、様々な状況を剪定用のハサミとして用いられる。
それは、時には人から拒絶される事かも知れない。
不親切な言葉を浴びる事や、雑事に追われ、何が何だかわからない毎日の中で、自分自身の時間を持つ事もできないでイライラしているという状況かも知れない。
すべてに希望が持てず、助けてくれる友達もなく、神様の介入を待っている状況かも知れない。

だけど、剪定用のハサミは、神様の御手の中にある事を、決して忘れてはいけない。
農夫である神様は、私達の可能性と限界を知っておられる。

私達が、どれほど愛情深くなれるか、喜びに満たされているか、寛容で親切で穏やかになれるか、優しく落ち着いて頼れる人になれるか。
どれほど強くて、良い人に成長できるのかを知っておられるのだ。

だから、剪定される事を恐れるんじゃなく、それをなさるお方を信頼しよう。
神様には、目的がある。
それは、良い実を私達の中にならす事なのだから。

God Bless You!!

a:120 t:1 y:0