2013年5月27日(月)

2013年5月27日(月)


『そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり』コリント人への第一の手紙12章22節


ある人が、インドにあるハンセン病療養所を案内された時の話を読んだ事がある。

ちょうど正午になって、昼食の用意ができた事を知らせるどらが鳴った。
人々はあちこちから食堂に集まって来て、その場は一瞬にして笑い声で満たされたそうだ。

ひとりの若い男性は、もうひとりの男性をおんぶし、馬と騎手のふりをしながら楽しそうにしている。
その様子を見ていると、馬に扮している人は目が見えず、騎手に扮している人は足が不自由であると教えられた。

目が見えない人が足になり、歩けない人が目になっているのだ。
ふたりは、お互いに助け合っている事に、大きな喜びを見出していたという。

そんな教会を想像して欲しい。
メンバーのひとりが、他の人の弱い部分を補うために自分の能力を用いている。
そんな教会だ。

パウロは、聖霊の賜物を人間の身体の色々な器官にたとえている。
目は見、耳は聞き、手は物を作り、足は歩いて前進させる。
すべてが違うけれど、すべてが必要なのだ。

私達は、誰でも弱い部分を持っているけれど、長所もある。
皆が違う賜物を、神様からいただいている。
何ももらっていないという人なんていない。

私達は、お互いが必要だ。
キリストの身体で不必要な人なんて、ひとりもいないのだから。

God Bless You!!

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