2013年5月25日(土)

2013年5月25日(土)


『それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい』コリント人への第一の手紙10章14節


旧約聖書の時代、偶像を礼拝しているかどうかを見分けるのは簡単だった。
金の子牛の回りを踊ったり、バアルの前にひざまずいたりしていたからだ。

パウロがコリントのクリスチャン達に手紙を書いた時も、異教の偶像礼拝は堂々と行われていた。
だからパウロは、それに関わりを持たないようにと警告をしたのだ。

偶像礼拝の危険性は、神様を信じる人達にとって、今も変わらない。
だけど、偶像は昔ほど明らかじゃなく、礼拝も堂々と行われていないかも知れない。

今の偶像は、たいていの場合、私達の心の隠れた場所に安置されているので、それを見抜く事はとても困難なのだ。

自分の偶像が何なのかを知りたいのなら、自分がいつもどんな事を考えて暮らしているのかを思い出してみるといい。
最も良く考えているものが、偶像かも知れない。

目覚めてすぐに心に浮かぶ事や、寝る直前まで考えている事、また日中ぼんやりと考えている事が、私達の宝であり、頼りにしているものなのだ。
だけど、神様の占めるべき場所を盗もうとするものは、すべて偶像なのだ。

人や物、大きな志や目標でさえも、それが神様以上に大切になっているなら、それは立派な偶像だ。
私達の生活を巧みに操作し、自分のために生きようと迫る「偽りの神々」なのだ。

だけど、唯一の神様だけが、私達の心の奥深くにある空洞を満たす事ができる。
そのお方こそ、イエス・キリストだ。
だからパウロは言っている。
「イエス・キリストをいつも思っていなさい。これが私の福音だ」と。

God Bless You!!

a:129 t:1 y:0