2013年5月14日(火)
『モーセは主に叫んだ。主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなった』出エジプト記15章25節
喜びと苦しみは、時として隣り合わせだ。
紅海の勝利からたった三日後、イスラエルの民はマラの苦い水に苦しんだ。
私達の喜びも、突然、苦しみに変わるかも知れない。
神様は、モーセに木を示され、それを水に投げ入れるように命じられた。
すると、マラの水は甘くなって、飲めるようになった。
苦しい人生に投げ込まれると、それを甘く変える別の「木」がある。
それは、イエス・キリストの十字架だ。
イエス様が、私達の犠牲となって死んでくださった事を知る時、人生を見る目が変わるだろう。
私達の悩みの原因は、悪意のある人達かも知れない。
それどころか、見捨てられている事かも知れない。
だけど、神様はその状況をお許しになった。
理由はわからない。
ただ、私達を愛してやまない神様が許されたのだ。
だけど、必ず苦しい状況の中にも喜びはある。
私達には、わからないかも知れないけれど、神様はひとりひとりに計画を持っておられる。
それは、苦しみの向こうにある、喜びの計画だ。
どんな苦しみも、永遠には続かない。
だから、諦めてはいけない。
神様を信頼する事を、諦めてはいけないのだ。
God Bless You!!
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