2013年11月6日(水)

2013年11月6日(水)


『神よ、あなたはわれらを試み、しろがねを練るように、われらを練られた』詩篇66篇10節


人生の主な目的は、何をするかじゃなく、どんな人になるのかという事に尽きるのかも知れない。

私達は、日々そのために準備している。
銀が火によって精錬されるように、心も悲しみという炉で純化されていく。
だけど、私達がそれによって崩れてしまう事はない。
私達をきよめてくださるお方は、炉のそばにいて、その火に気を配っておられるからだ。

神様は、私達を耐えられないような試練にさらす事はなさらない。
試練は、私達にとって有益なものになり得るからだ。

こんな惨めさを何年も耐え忍ばなければならないのは、なぜかと苦しんでいる人がいるかも知れない。
その試練には終わりもなく、意味もないように思えるかも知れない。
何のために生きているのかさえ、わからないと感じたり、人生を無駄にしているように思えたりするかも知れない。

だけど、神様は一番大切な事、つまり、私達を精錬なさっているのだ。
忍耐、従順、謙遜、思いやり、そして、あるがままの私達には欠如している目立たない美徳を、身につけるために、私達に試練を与えられる時がある。

だから、恐れたり心配したりしないで、今どんなに辛い試練の中にいても、私達は神様の愛と知恵によって守られている。
主は、炉のそばに座って火の温度をチェックされ、純化のプロセスを監視され、私達を通して、主が映し出されるまで、辛抱強く待っておられるお方なのだ。

God Bless You!!

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