2013年11月28日(木)

2013年11月28日(木)


『それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい』ルカによる福音書9章23節


あるキリスト教冊子に書かれていた記述を読んで、考えさせられた。
その内容は、以下のようなものだ。

「現代のキリスト教は、気軽で楽天的、便利で柔軟という傾向にある。
自己犠牲、自制、訓練、謙遜、世俗を避ける、伝道の情熱、神への愛や畏敬などは、不必要だ。
自責も罰もなく、天国の報酬は確約されたも同然だ。
このような実態は「消費者向けキリスト教」と呼ぶのが適切かも知れない。
最小限の出費で、満足を保証しますと客に語っているようだ」。

もし、私達が全能の神様の単なる「お客」だったら、信仰に関してえり好みをして、気に入らないものを拒絶できたかも知れない。

だけど、イエス様が教えられた事は、まったく違う。
イエス様は、十字架を指し示された。

イエス様は、私達の満足度アップのために十字架にかかったわけじゃない。
私達を、罪から救うためだ。
そして、自分を捨てて主に信頼し、主に従っていくように、私達を招いておられる。

「お客様は神様です」と言われている現代社会で、「消費者向けキリスト教」に惑わされないためには、神様に徹底的に服従する覚悟が必要だ。
イエス様に従う事は、常に簡単だとは限らないけれど、それは必ず正しい道だから。

God Bless You!!

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