2013年11月27日(水)

2013年11月27日(水)


『自分は真実だという人が多い、しかし、だれが忠信な人に会うであろうか』箴言20章6節


不誠実に、がっかりさせられる事がある。

手紙を書くと約束してくれたのに、何か月経っても便りがない。
病気の時には見舞いますと言った牧師が、病気の時に自宅にも来てくれない。
家族を亡くした時の悲しみを分かち合おうと言った友人は、電話すらしてこない。
祈りますと言った人達は、すぐに私達の窮状を忘れる。
大切な事をお願いして承諾してくれた人は、途中でその約束をうやむやにしてしまった。

私達は、「だれが忠信な人だろう」と溜息をつく。

人の不誠実について、できる事はほとんどない。
だけど、自分自身が誠実であるために、できる事はたくさんある。

約束をしたなら、それを守らなくてはいけない。
祈りますと言ったなら、祈らなくてはいけない。
「愛しています」、「誠実を尽くします」と言うなら、その言葉に嘘がない事を、ちょっとした行為で表わす必要がある。

使徒パウロは、御霊の実のひとつは、誠実だと言っている。
「あなたのために○○します」と言った事を、真面目に最後までやり抜くなら、神様は、しっかりとした霊性と人格を、私達の中に築いてくださる。

あの人なら大丈夫と、信頼される人になれるように祈ろう。
小さな事に誠実であるのは、とても偉大な事だから。
私達の真実が、筋金入りの誠実になりますように。

God Bless You!!

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