2013年11月26日(火)

2013年11月26日(火)


『また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた』マタイによる福音書9章36節


伝道とは、神様に赦され、神様と和解した罪人達が、まだそうでない人達に向かって、ただメッセージを語る事じゃなく、自らの信仰を生活の中で表す事じゃないだろうか。

使徒パウロも、これと同じ確信を述べて、表明している。
かつて彼は、クリスチャンを迫害して、神様を冒涜していた。
そんな罪人の頭領のような自分に、神様の憐れみが示されたのは、後にイエス様を信じて永遠の命を得ようとしている人々の見本にしようとなさったからだと語った。

私達が、イエス様を信じる事で、神様に赦され、永遠の命をいただいたと証しするなら、それは、この神様は救いの神様だと宣言している事になる。

それにも関わらず、私達は自堕落な生き方をしている人を無視しがちだ。
むしろ、イエス様のように、彼らを深く憐れむ必要がある。

イエス様は、世を裁くためではなく、救うために来られたと言われた。
私達も同様に、「神様が、このように寛大に私を救い出してくださったのに、他人に有罪判決を下す事などできない」と言うべきだ。

神様の喜びは、赦された罪人を用いて、他の罪人に助けの手を差し伸べる事なのだから。

God Bless You!!

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