2013年1月30日(水)

2013年1月30日(水)


『わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と』哀歌3章24節


私達は、多くの嘆きの世に生きている。

ある母親は、息子を仕事中に事故で亡くした。
ある子どもは、突然の心臓発作で父親を失った。
どちらも、多くの涙が流された。

聖書にも、「涙の預言者」と呼ばれた人がいる。
その人は、エレミヤだ。
彼は、エルサレムの罪と裁きを見て、絶えず涙を流していた。

それでも、エレミヤは神様の憐れみと誠実を確信していた。
だから、彼は主を待ち望む事ができたのだ。

涙にまみれたエレミヤの姿には、何と真実味がこもっている事だろう。
実際、嘆き悲しむ事は、信仰が弱い事でも、神様を信頼していない事でもない。

クリスチャンは、胸が張り裂けそうな時でも、喜ばなければいけない。
少なくても、そう振る舞わなければいけないと考えている人がいるかも知れない。

だけど、エレミヤはそれが間違いである事を証明している。
ある意味、クリスチャンの人生に涙はつきものだと言っても過言ではない。

だけど、やがて栄光の日が訪れ、祝福の救い主が「目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」日が来るのだ。

涙の雨がなければ、心に虹はかからない事だってある。

イエス様は、私達の心の悲しみを、喜びと感謝に変える事のできる唯一のお方なのだ。

だから、今日という日を主にゆだねよう。
主は良いお方なのだから。

God Bless You!!

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