2013年1月24日(木)

2013年1月24日(木)


『悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである』伝道の書7章3節


とっても聞きづらい事だけれど、「悲しみ」は、私達の魂には良いものみたいだ。

悲しみは、人の心も、神様の深みもあらわにしてくれる。
自分を真剣に見つめさせてくれる。
自分の意志や考え、何が自分にとって大切なのかをじっくり考えさせてくれる。
そして、私達は悲しみを通して、自分自身をより深く知るようになる。

悲しみによって、人はそれまでに体験した事がない程、深く神様と出会う事ができる。

ヨブはひどい悲しみの中で、こう言った。
「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました」

イエス様は、完全に人であられた神だったけれど、「悲しみの人」で病を知っておられた。

理解しがたい事だけれど、人となられたイエス様でさえ、受けられた多くの苦しみによって、学び、成長されたのだ。

主の悲しみを理解し、同時に、主が私達の悲しみを分かってくださると知ったなら、神様が苦難を通して私達を成長させてくださるという事実を、改めて感謝する事ができるのかも知れない。

自分に嘘をついて、悲しいという気持ちを否定したり、大した事ではなかったと強がったり、悲しんでいる暇などないと理屈をつけるなら、薄っぺらで、通り一遍な人間になりかねない。

そして、他人はおろか、自分の心さえわからなくなるだろう。

神様に用いていただくには、まず心から悲しむ事を知る者となる必要がある。

神様の導きに従って、苦難の谷を通り抜けて行く時、主が許された試練や悲しみは、神様の素晴らしい恵みを学ぶ大切なチャンスにもなる。

私達は、笑いから学ぶ以上に、悲しみから多くの事を学ぶ事ができるのだ。

God Bless You!!

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