2013年1月13日(日)
『そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」』ルカによる福音書23章42節
カルバリの丘に、三つの十字架が立っている。
そのひとつにつけられた男は、罪の中で死のうとしていた。
もうひとりは、罪を離れて死のうとしていた。
彼は、イエス様を救い主として自らの人生に受け入れたのだ。
中央の十字架につけられたお方は、罪の赦しのために死のうとしていた。
そのお方は、神の御子で、ご自身にはまったく罪がなかったのに、私達の罪の身代りとなって死なれた。
中央の十字架は、永遠の地獄と永遠の天国という大きな違いを、両脇の男達にもたらした。
この二人のイエス様への応答は、全世界の人々の態度を代表している。
三人は、罪人、聖徒、そして救い主の姿だ。
ある時、イエス様を救い主として受け入れてはどうかと促された人がいた。
その時、彼は言った。
「今でなくても良いでしょう。ほら、あの死にかけていた罪人のように、死ぬ前で十分です」
彼はわかっていない。
十字架にかかった罪人は、二人とも死にかけていた事を。
彼は一体、どちらの罪人になるつもりなのか。
勿論、彼は救われた男の事を言いたかったのだろう。
だけど、私達に明日があると誰が保証してくれたのだろう。
私達は、十字架にかかって死にかけている罪人に他ならないのだ。
そして、ある者は信じ救われ、ある者は滅びて行く。
だから、決断を先延ばしにしてはいけない。
明日が来る保証なんてどこにもない。
私達に与えられているのは、「今」だけなのだ。
だから、「今」与えられている命を、主のために用いていただこう。
もし、「今日」が来たならば、新しく「今日」イエス様を信じ、信頼しよう。
主は、確かにあなたを救ってくださるのだから。
God Bless You!!
a:95 t:1 y:0