2013年1月10日(水)

2013年1月10日(木)


『他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう』マタイによる福音書27章42節


アメリカであった本当のお話。

タナー夫妻が、踏切を渡っている時だった。
妻のメアリーの足がすべって、線路の横木の間にはさまってしまったのだ。
汽車が近づいて来る音が聞こえて、メアリーは必死で足を引き抜こうとした。

あと数秒で急行列車は、カーブを曲がり突進してくる。
夫のウィルも、死に物狂いで彼女の足を引き抜こうとしていた。

列車が近づき、警笛がけたたましく鳴り、急ブレーキのきしむ音の中、ウィルはメアリーをしっかりと抱きしめた。

そして、乗客が恐ろしさで震えている中、汽車は大きな音をたてて、二人の上を通り過ぎて行ったのだ。

その光景をまのあたりにした目撃者のひとりは、その瞬間、「メアリー、ぼくも一緒だよ!!」と叫ぶ勇敢なウィルの声を聞いていた。

この話を聞いて、イエス様の事を考える人もいるんじゃないだろうか。
イエス様は、十字架にかかられ、私達が受けるべきすべての罰を受けてくださった。

イエス様に死が迫った時、人々は「神の子なら、自分を救ってみろ。
十字架から降りて来い」と言ったけれど、主は、私達を救うために、あえてご自分を救われなかった。

勿論、十字架から降りる事も、嘲った人に罰を与える事だってできたのにも関わらずだ。

イエス様は、無償の愛で私達を愛しておられたので、ご自分の命を惜しまずに与えてくださった。
私達の罪の赦しのために十字架にとどまり、死なれたのだ。

神の愛なしに、釘だけでイエス様を十字架に張り付ける事なんてできない。
イエス様を十字架に留めたのは、私達に対する愛以外の何物でもない。

God Bless You!!

a:85 t:1 y:0