2012年12月4日(火)

2012年12月4日(火)


『キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた』ペテロの第一の手紙3章18節


ある男性が、飢えている家族のためにパンを盗んで捕まった。
裁判長は、パンを盗んだ男性に「法は法だ」と言って、罰金刑を科した。
だけど男性は文無しだった。

すると、裁判長は自分の財布から紙幣を取り出し、その罰金を支払ってやった。
それだけじゃなくて、この男性に少しずつ施してくれるように、法廷にいた人達に頼んだという実話である。

福音の中心は、イエス・キリストの十字架だ。
イエス様が、私達の身代りとなって十字架で死んでくださったという福音メッセージは、子どもにも分かるほど、単純明快だ。

この裁判長の憐れみに、神の恵みを垣間見る事ができる。
裁判長は罰金を払ったので、法律の要求は満たされた。
イエス様が十字架にかかられたので、私達の罪の代価は支払われた。

罪を犯した男性は、自由を得ただけじゃなく、受ける資格のない贈り物をもらったのだ。
私達もまた、救いを得ただけじゃなく、受ける資格はないけれど、神の子どもにされたのだ。

この男性は、きっと感謝してもしつくせないほどの気持ちだったに違いない。
そして、私達も賛美してもしつくせない感謝に満ち溢れている。

God Bless You!!


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