2012年11月29日(木)

2012年11月29日(木)


『われわれはみな汚れた人のようになり、われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである。われわれはみな木の葉のように枯れ、われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去る』イザヤ書64章6節


クリスチャンになったばかりのふたりが、話しをしていた。
ひとりは貧しいノン・クリスチャンの家庭で育ち、もうひとりは、裕福なクリスチャン・ホームで育った。

それぞれが、自分の救いについて話した後、クリスチャン・ホームの人が尋ねた。

「福音を聞いて、すぐ決心できたのはなぜですか。私は随分、長い間かかったのに」

貧しい人は、答えた。
「答えは簡単ですよ。
もし、誰かが新品の背広をくれると言ったら、私は飛びつきます。
私の背広は古くて、ヨレヨレだからです。
でも、あなたの洋服ダンスには、上等の背広がいっぱいつまっているでしょう。

救いも同じです。
きっとあなたは、十分に良い人を演じられ、それに満足していたのでしょう。
だから、イエス様が差し出しておられる義の着物が必要だと分かるのに時間がかかったのです。
私は、自分が罪深い状態にあると十分わかっていたので、赦しと聖めを無我夢中で受け取ったのです」

私達が、自分の霊的貧しさを認めるなら、かけがえのない贈り物である救いの義の着物が与えられるのだ。

この世に、罪の赦しが必要じゃないと言える人は、誰もいない。
どんなに正しい人でも、自分で自分を救う事なんてできない。
だけど、どんなに悪い人でも、悔い改めるなら、神は救ってくださるのだ。

イエス・キリストの十字架は、全人類のためのものなのだから。

God Bless You!!

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