2012年11月28日(水)

2012年11月28日(水)


『ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう』コリント人への第二の手紙12章9節


ある日、健さんは情けなさそうな笑いを浮かべて言った。
「僕は聖書を教える身だというのに、この事がわかるまで、一体何年かかったのか、まったく信じられないよ」

それから、彼の一家が、苦しい試練を通ってきた事を話し、こんな自分は教会の成人向け聖書研究クラスの教師には不適格なのではないかと悩んでいたと言った。

「自分は完全な落伍者だと感じていた。毎日曜日、今週こそ辞表を提出するかも知れない。今週こそが最後のクラスになるかも知れないと思い続けてきたんだ」と告白した。

そんなある日曜日、若い婦人がクラスの後に健さんに話しかけたそうだ。
彼女は、健さんの家族の友人で、彼らの大変な状況を知っていた。

彼女は言った。「健さん、私の言う事を悪く取らないで欲しいのです。でも、あなたは自分がつらい状況にいる時の方が、ずっと良い聖書の教師です」

健さんは、パウロが肉体のとげのために祈った時に、神の恵みは十分だと言われた主の答えを、その時初めて理解できた気がしたと、にっこり笑った。

私達には、神様が必要だと認める時に、人は強くされるのだ。

私達は、力は不十分だけど、強い。
これはとても不思議だけれど、真実だ。
弱い仕え人が力に満たされて、主の偉大な業をなす事ができる。
これもまたとても不思議だけれど、事実なのだ。

God Bless You!!

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