2012年11月25日(日)

2012年11月25日(日)


『さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」』マルコによる福音書1章16節~17節


イエス様は、思いがけない人達を親とされ、思いがけない場所で生まれただけじゃなく、思いがけない場所に行って最初の弟子達を選ばれた。

イエス様は、神学校に行って、優秀な学者を探したりなさらなかった。
また、有能な将校クラスの軍人を求めたり、腕利きの政治家や、著名な演説家にも、目もくれなかった。

イエス様は、ガリラヤ湖に出かけて行って、普通の漁師に声をかけられたのだ。

「それは、間違った選択だ。
頑固で教養もなく、世界的な運動を繰り広げる知恵もない。
民衆を動かさなければならない時が来ても、彼らに何ができるだろう」と言う人もいるかも知れない。

だけど、漁師の面目のために彼らの良いところをあげるとすると、彼らは勇気と忍耐力があり、綿密に計画を立て、道具を大切に扱う。
これらの性質は、大宣教命令を遂行する助けになるはずだ。

だけど、イエス様が彼らを選んだ理由は、これじゃない。
イエス様は、いかに普通の人が「人間を取る漁師」に変えられるのかを見せたかったんじゃないだろうか。

神様の御業は、思いもよらない場所から、私達のような思いもよらない人達を通してなされるのだ。
スーパーマンでなくても、ずば抜けた才能がなくても、力ある神は、私達を通してご自身の御心を果たされるのだ。

神は平凡な人達を用いて、非凡な事を成し遂げられるのだから。

God Bless You!!

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