2012年11月11日(日)

2012年11月11日(日)


『あなたは、恵みを末永く与え、あなたのご計画は偉大で、その御業は勇壮であられます』エレミヤ書32章18-19節/現代訳


逆境に耐えられる信仰を持っているだろうかと、クリスチャンは礼拝メッセージや信仰書を通してよく問いかけられる。

だけど、「自分の信仰は、順境に耐えうるだろうか」という質問の方が、実際は適切ではないだろうかと思う時がある。

人生がうまくいっている時に信仰から逸れていく人の話をよく聞く事がある。
順境の時は、神が不要に思えるのだろうか。

人は、祝福が神の一方的な憐れみだとは思わないで、自分が正しい事をしているから、こんなに祝福されたなんて思っている。
自分は、祝福を受けるのにふさわしく生きていると思っていて、神がくださったすべての良い物は、神がそれを通して慈しみ深さを教えようとしている事を知らないでいる。

神は、人が楽しんでいる時はささやくけれど、痛んでいる時は叫ばれる。
ささやいておられる時に、耳を傾けないなら、私達を振り向かせるために、神は叫ばれるかも知れない。
それが、何を意味しているか、わかるだろうか。

だから、神が憐れみ深いからといって、背いてはいけない。
神が、そのようなお方であるからこそ、私達は神を愛したいと思うのだ。
その事に気付く者だけが、主の祝福によって、主との関係が更に強められていくのだ。

God Bless You!!

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