12月22日(火)の手紙


2015年12月22日(火)

『そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った』ルカによる福音書1章38節


人の悩みは、ほとんどの場合、ないものが欲しい、または、欲しくないものがあるという事だ。
そして、このふたつの現実に介入される神の御手を見る事が、私達が心底から望む事であり、また人生最大のチャレンジでもある。

ルカが記したイエス様の誕生にまつわる話も、ここから始まっている。

年老いたエリサベツは、子どもを欲しがっていた。
一方、婚約中の若いマリヤにとって、妊娠は恥ずべき事だった。
だけど、二人とも神を信じて、子どもが生まれるという知らせを受け入れた。
神のタイミングは完全であり、神にとって不可能はないからだ。

クリスマスの話に、おなじみの人達が登場するけれど、その人達の実情をよく考えてみると驚かされる。

例えば、当時のユダヤの文化では子どもがない事は汚点だったので、ザカリヤとエリサベツは、辛い状況にあった事だろう。
だけど聖書は、その中でも彼らが「神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落ち度なく踏み行っていたと記している。

またマリヤは、神から恵みを受けたと御使いに告げられた。
クリスチャンにとって、試練と信頼は一体なのかも知れない。

マリヤやエリサベツの姿は、当惑するような状況にあっても神を信頼し、神の不思議な方法と全能の御力を受け入れるという信仰の模範なのだ。

Merry Christmas!!

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