11月8日(土)

2014年11月8日(土)


『しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る』テモテへの第二の手紙3章1節


イエス様を信じさえすれば、このお方が私達の問題をすべて解決し、私達は豊かで平和に暮らせると思っているだろうか。

もし、そういう人生が神様に仕える人達に確約されているなら、パウロの苦難は何だったのだろう。

救われてからのパウロは、素晴らしい品性の持ち主になったけれど、ひとかたならぬ苦労を背負っていた。

パウロは、歴史上、最も偉大な宣教師のひとりだ。
だけど、どうだろう。
殴られ、捕えられ、溺れかけたり、町から逃げ出さなければならなかったりした事もあった。

ヨセフ、アブラハム、ヨブ、エレミヤ、ペテロを思い出して欲しい。
みんな、神様を信じる敬虔な人達だけれど、私達ならごめんこうむるような危険や災難に巻き込まれた。

なぜ、苦しみがあるのだろう。
どうして、クリスチャンにも無神論者にも、同じ悲劇が起こるのだろう。
災害や病気、差別や迫害、対人関係のいざこざから自由になれないのはなぜだろう。

神様は、すべてを働かせて益とされる。
私達の災難を、御国を前進させ、御心を成されるために用いられる事がある。
私達の役割は、状況に関わらず、神様の栄光をたたえる事だ。
そうすれば、平安と褒美を待つ天国のゴールに向かって進んでゆき、その途上で、人々が救い主と出会う助けができるかも知れない。

神様は、私達を弱体化させるためではなく、改善向上させるために、試練を与えられる事を忘れないでほしい。

God Bless You!!

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