11月13日(金)の手紙


2015年11月13日(金)

『しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである』ガラテヤ人への手紙6章14節


十字架は、建物についていたり、人が身につけたりしているけれど、それが世界に伝えようとしているのは、血で染まったカルバリのあの十字架が、赦しと救いの唯一の希望だという事だ。

今日の聖書の御言葉は、十字架は救い主を処刑にする道具だったと教えている。
群衆は、「十字架につけろ」と怒声を浴びせかけた。
十字架は、イエス様の死を意味しているので、軽々しく扱ってはいけない。

むしろ、自分の心を吟味すべきだ。
カルバリの十字架で死なれたイエス様は、私達の永遠の望みだ。

十字架を身につけるのに勇気がいる場合もあるけれど、日々自分の十字架を負って、主に従って歩むという命令は、それ以上に大きなチャレンジだ。
犠牲を伴う訓練をいとわないということも、その命令には含まれている。

イエス様は、私達の十字架を負ってくださった。
だから私達も、喜んで主の十字架を負う者になりたい。

God Bless You!!


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