1月11日(日)の手紙


『わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである』ピリピ人への手紙3章12節


私達は、時に「早く!」、「間に合わない!」、「ちんたらしない!」などと言いながら、慌しく暮らしている。

気を付けていないと、追い越し車線ばかりを走り続ける、効率や結果ばかりを求める人間になってしまう。
ストレスを専門的に研究する人は、これを「せっかち病」と呼ぶそうだ。

クリスチャンは、生涯をかけて成長し続ける。
成長を促す事は、大切だ。
だけど、急がす事はできない。

神様は、時間をかけて木を成長させられる。
同じように、クリスチャンの聖なる品性を育むのにも、時間がかかる。
霊的な成長とは、生涯続くプロセスだ。
成熟に、近道はない。

熟していないリンゴは食べられないけれど、決して不良品ではない。
完熟の実をつくる神様の働きが、完了していないだけなのだ。
今はこの段階であり、それはそれで良いものだ。

自分の霊的成長に、不満があるだろうか。
神様は、まだ私達を仕上げておられない。
天に召される日まで、私達は完成品にはならないだろう。

私達の目標は、イエス様を良く知り、イエス様に似た者になる事だと心しよう。
そうすれば、ゆっくりと、だけど着実に、照る日も降る日も、神様は私達を育まれる。
これが、「せっかち病」を治療する主の御業だ。

God Bless You!!


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