8月1日(金)

8月1日(金)

『聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である』テモテへの第二の手紙3章16節


ある春の日、男の子がお母さんに連れられて幼稚園に行く途中、イエス様の復活について尋ねた。
彼は、イエス様が今度のイースターに初めて復活されるのだと考えていたのだ。

そこで、お母さんは正しい答えを教えようと、車を止めてイエス様の死と復活について話し出した。
「イエス様は、ずっと昔に復活されたのよ。
そして、今、私達の心の中に住みたいと願っていらっしゃるのよ」と締めくくった。

だけど、彼には、お母さんの言葉を理解する事ができなかった。
お母さんは、それ以上どう説明すればよいのかわからなかったので、「本屋に寄りましょう。
先週行った時、イースターの本があったわ。
一冊買って、一緒に読みましょう」と言った。

すると男の子は、「聖書を読んだらいいんじゃない?」と、幼稚園児とは思えない賢明さで答えたのだ。

彼の考えは、適切だ。
確かに、聖書に関する注解書や信仰書は、有益なものだ。
だけど、神様ご自身の啓示である、聖書の御言葉の代用品にしてはいけない。

「神の霊感」によって書かれた書物は、聖書の他には存在しない。
聖書を通して、神様の御声が私達に語りかけ、招き、約束し、祝福し、罪を示し、命令し、癒してくださるのだ。

だから、まず真理の源である聖書に帰ろう。
私達の人生の守り、軌道修正、導きを求めるなら、まず聖書を読む必要があるんじゃないだろうか。

God Bless You!!

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