今日の手紙

2022年5月26日(木)


『絶えず祈りなさい。』テサロニケ人への手紙第一5章17節


私たちが祈りについて考えていることは、正しいにせよ、間違っているにせよ、自分の中にある祈りの概念に基づいている。

もし私たちが祈りを、肺にとっての呼吸、心臓にとっての血液であると考えているなら、その考えは正しい。
血液は休むことなく流れ、呼吸も絶えることなく繰り返される。
それを私たちは無意識のうちに行っているにもかかわらず、決して停止することはない。

イエスが私たちを神と一つに保っていてくださることを、私たちは常に意識しているわけではない。
しかし、私たちが神に従っているなら、それはイエスが保ってくださっているからである。

祈りは訓練ではなく、いのちである。
ほとばしり出る祈りを何ものによっても妨げられないように気をつけよ。

「絶えず祈りなさい」とあるように、いつでも心の中で、子どものように自然に発する、神への祈りの習慣をなくしてはいけない。

イエスが「答えられなかった祈り」に言及されたことは一度もない。
祈りは常に答えられる、という無限の確信をイエスは持っておられた。

私たちは神の御霊によって、イエスが祈りに対して持っておられた、ことばに表せないほどの確信を持っているだろうか。
それとも、神が私たちの祈りに答えてくださらない時があったと思っているのだろうか。

「だれでも、求める者は受けます」とイエスは言われた。
ところが私たちは「そうはいっても」と言う。

神は最善の方法で祈りに答えられる。
それも、時々ではなく毎回である。

私たちが望むような形で、またいつでもすぐに祈りが答えられるとは限らない。
それでも私たちは神が祈りに答えてくださると期待しているだろうか。

私たちにとって危険なのは、イエスが言われたことを骨抜きにして、常識と調和させてしまうことである。
しかし、もし常識にすぎないのであれば、そもそもイエスが祈りについて口にする価値もなかったはずである。

イエスが祈りについて教えておられることは、どれも超自然的な啓示なのである。

God Bless You!!


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