6月6日(土)の手紙



『わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し』ピリピ人への手紙1章3節


ある葬儀での話である。

追悼の言葉が述べられると、妻のすすり泣きが聞こえた。
彼女は、愛する夫を亡くしたのだ。

すると牧師が「大丈夫。いつか忘れられますから」と声をかけた。
彼女を慰めようとしたのだろうが、変な事を言ったものだ。

彼女の表情は、忘れたいなどとは思っていないと訴えていた。
夫との楽しい思い出が、彼女の慰めであり喜びだった。
彼女はそれをしっかり握って、天国で再会する日を待ち望むつもりだった。

記憶力は、神様が与えてくださった素晴らしい贈り物だ。
人生には、忘れるべき痛みや失望が十分にあるけれど、共に過ごした日々の楽しい思い出は宝物だ。

パウロは、ピリピの教会で過ごした日々を、そのように感じていた。
ローマで裁判を待つパウロにとって、ピリピの友人達を思い出す事は大きな慰めであり、喜びに満ちて彼らのために祈る事で、彼自身が大いに励まされていた。

忘却によって慰められるといっても、パウロは納得しなかっただろう。
彼は、思い出す事で喜びに満たされたからだ。

楽しい思い出は、神様の恵みだ。
悲しみがやって来る時、その思い出をしっかり握っていよう。
今日という日が重荷だからといって、昨日の祝福を忘れてしまってはいけない。

God Bless You!!


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