6月25日(日)の手紙


2017年6月25日(日)

『彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。』使徒行伝11章26節


私たちには、キリストの名がつけられている。
ルカは初代教会の様子を記しているけれど、その中で「弟子たちは、このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった」語っている。

その後、ペテロは、クリスチャンと呼ばれ苦しむことを、恥じてはいけないと言った。
「クリスチャン」という言葉は、もともとはキリストに従う人を軽蔑して呼ぶ名前だったけれど、信徒たちにとってはキリストへの忠誠の証、すなわち栄誉の勲章だった。

「クリスチャン」という表現は、1世紀において的を射た言葉だ。
それは、その人に対する支持と忠誠を意味しているからだ。
その人とはメシア(キリスト)。
この言葉の現代における真の意味も、昔と変わってはいない。

クリスチャンとは、そう認めることがいかなる結果を招くかに関わらず、イエス・キリストが自らの主であると認める人のことだ。

私たちもまた、キリストに従うものなのだから、「クリスチャン」と呼ばれることを喜んでいる。
救い主、主、そして友であるキリストの名がつけられていることを、喜んでいる。

God Bless You!!

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