5月16日(月)の手紙


2016年5月16日(月)

『互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう』ヨハネによる福音書13章35節


季節の変わり目になると、分厚い通販カタログが届く。
どれを開いても、その製品は私達の生活に不可欠だと主張して「ご注文は、お早めに!」とか「数量限定!」、「今すぐ、お申し込みを!」などと書かれている。

この手のものに弱い人がいる。
そのページを開けるまでは、存在さえ知らなかったものが、突然必要なものに見えてくる。
カタログの写真は、欲しいという思いを起こさせる。

さて、クリスチャンは、ある意味で神のカタログだ。
神が提供できるものを世間に示しているからだ。
神の品性は、クリスチャンの人生を通して明らかになる。
それを見るまでは、自分にも神が必要だとか、神が欲しいとか、人々は思わないのかも知れない。

イエス様は、弟子達がひとつになるようにと祈られた。
彼らがひとつになるなら、この世は、神がイエスを遣わされた事を知るようになるだろう。
また、神がイエスを愛されたように、弟子達をも愛されている事を知る。

私達は、愛を作り出す事はできない。
だけど、私達の人生を通してキリストが見えるなら、私達は神の愛を映す器になっている。
神は創造主であり、私達は神の作品だ。

通販カタログのページをめくる時、自分の何かが神を示しているだろうかと考えてみよう。
人に神を求めさせる何かが、私達の中にあるだろうか。

God Bless You!!

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