2023年8月23日(水)

2023年8月23日(水)


『不適切な祈り』

新約聖書は、私たちの人生のあらゆるところに神が親しく関わっておられることを強調している。
「あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています」とイエスは聞く者たちに確約された。

率直な話、神がご自分の関心事について述べているこのような言葉は、私にとって理解しがたい。
ましてそのような約束を祈りに適用するのは、もっと難しい。

ある友人が言ったように、「私の人生にそれほど多くのことを心にかけてくださる人を想像することができません。
まして神を想像することはなおさら難しいのです。
神は私のちっぽけな関心事よりもはるかに多くのことを悩まなければならないはずです」。

私のこの友人のような人は、セルフイメージが低いため、祈りに口輪をはめている。
申しわけないという感覚から祈りに口輪をはめている人もいる。

神秘家マイスター・エックハルトは、病気から快復するために「豊かで愛にあふれた神に、そのような細々したことを祈る」のを拒絶した。

ジェノヴァのカタリナは35年にわたる絶えざる祈りの中で、自分自身のために何かを求めたことが一度もないことを誇りにしていた。
私もそういう人たちの例にならいたくなることがある。

利己的だったり不適切に思えたりするような祈りはすべて抑制したい、という誘惑だ。
そんなときは、あらためて聖書の祈りに目を向ける。

聖書はあらゆる種類の「利己的な」祈りを認め、記録している。

赤ん坊が欲しい不妊の女性、料理油がもっと必要な未亡人、戦いの勝利を懇願する兵士。
人々は旱魃のときには雨を、敵に対しては復讐を祈っている。

主の祈りそのものに、日々の糧を求める祈りが入っている。

パウロは、旅の安全、仕事の繁栄、病気の快復、大胆な説教を求めて祈っている。
ヤコブは知恵や肉体の癒しを求める祈りを勧めている。

聖書に書かれた祈りを読み返して、不適切な祈りについて悩むのをやめた。
神が私と関わる主要な方法として祈りに依拠しておられるのに、私は適切さを確認するテストを作り、その基準に合わなさそうな祈りを取り除いて、神と親密になる機会を妨げているのかもしれない。

イエスによれば、取るに足らなすぎるものなどない。
私についてのすべて———私の考え、動機、選択、気分———が神の心を引くのである。

God Bless You!!


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