2023年8月22日(火)

2023年8月22日(火)


『絶えず祈ること』

マルティン・ルターやジョージ・ミュラーといった祈りの巨人たちのように、祈りを真剣に受けとめている数少ない知人の一人に会った。

マルシアは、アビラのテレサが説いた霊魂の城のモデルにならい、祈るための小部屋をもっている。
しかし、祈りについて尋ねると、驚いたことに彼女が語ったのは、一日のうちの祈りの時間以外のことだった。

「会話も祈りになります。
水や山やエルサレムについてイエスと話していた、井戸の傍らのサマリア人女性を考えてみると、あれは祈りでなかったでしょうか。

私は、人々との会話を祈りと考えるのが好きです。
その人の中にいるイエスに語りかけます。
主よ、このランチやお茶、どんなことでも祈りにさせてくださいと祈ります。

聖書を読むこと、それも祈りです。
私は詩篇73篇を読むのではありません。
詩篇73篇を祈るのです。
自分の行動についても神に聞いてみますが、そうすることで私の行為は祈りになります。」

「私は画家であると言えるでしょう。
絵を描きながら祈り、絵が祈りのようなものになります。
人からどのように祈ればよいのか聞かれると、何よりも楽しいことを見つけてそれをしてください、ただし神の栄光のためにね、と言います。

あなたにとっては文筆活動や登山がそうかもしれません。
それをしながら、それを神のためにしていることを思い出させてください、と神にお願いしましょう。

楽しいことをしているとき、しばしば願い事が心に浮かびます。
何かが心に浮かんだ瞬間、すぐに祈ります。
そして神がそれを思い出させてくださることを信じます。」

マルシアの話に耳を傾けながら、自分が生活をどれほど安易に区切っているかに気がついた。
私は祈りを、奇妙なことに、他の生活時間と関係のない霊的行為だと考えていた。

ときには喜んで、ときには喜ばずに、祈りの時間を義務感から過ごし、それからその日の実際の仕事にとりかかっていた。

それで祈りを準備運動のようなものと考えるようになっていた。
祈ること自体が目的でなく、他のすべての時間に神のことを考えていられるようにするための手段だと考えていた。

God Bless You!!


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