2023年8月21日(月)

2023年8月21日(月)


『待つこと』

私は自分が労苦した結果を見るのが好きだ。

記事の執筆に励み、数か月後にそれが印刷される。
山に登って頂上に着く。

しかし、祈りは違うルール、神のルールで働く。
私たちはだれにも努力を気づかれないように秘密裡に祈る。

そして私たちの結果でない神の結果は、驚くようなかたちで、期待していたよりもずっと後になってやって来ることが多い。

祈りとは、自分自身を神に打ち明けることであって、私自身の先入観で神に限界を設けることではない。
要するに、祈りとは、神を神とすることなのだ。

聖書における多くの祈りが、待つという行為から発生している。

一人の子どもを待ち望むアブラハムとサラ。
妻を七年間待ち、彼女の父親に騙されてからさらに七年を待つヤコブ。

四百年も救いを待つイスラエルの民、そして、彼らを導けという召しを聞くのに四十年待ち、それから自分が足を踏み入れることのない約束の地をさらに四十年待つモーセ。
多くのユダヤ人と同じようにメシアを待つマリアとヨセフ、エリサベツとザカリヤ、アンナ、シメオン。

時間に拘束されない神は、私たちに成熟した信仰を求めておられる。
その信仰には、前述の人たちが味わった、試みのように思える遅延が含まれているかもしれない。

忍耐力は成熟さの一つのしるしであり、これは時の経過によってのみ成長し得る性質だ。

子どもは待てない。
「もう着いた?」
「でもデザートは、今、欲しい!」
「ねえ、プレゼントを開けていい?」
「もう教室に戻っていい?」

医学生は、訓練を積みながら医師になる日を待つ。
親は何年も放蕩息子が帰って来る日を待つ。

私たちは待つ価値のあるものを待ち、その過程で忍耐を学ぶ。

ある詩篇の記者は書いた。
「私のたましいは
夜回りが夜明けを
まことに夜回りが夜明けを待つのにまさって
主を待ちます」。

あと何分でシフトが終わるか数えている夜回りの様子が目に浮かぶ。

私は試みにあったとき、耐えることができる、期待し続ける、希望をもち続ける、信じ続ける忍耐力を祈る。
忍耐強くいられるだけの忍耐を祈る。

God Bless You!!


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