2023年8月15日(火)

2023年8月15日(火)


『居場所の意義』

訪れた病院で、人々が「死ぬ前に死ぬ」プロセスに言及した。
それは、親戚や友人たちが良かれと思って、苦しんでいる人の最後の何か月を煩わしさから解放させようとするときに起こる。

「あ、そんなことしてはだめよ!
いつもあなたがゴミを出してくれていたけれど、ほんと、そんなに具合が悪いのに無理にやることないから。
私にさせて。」

「家計簿の管理なんて大変なことはしないで。
そんな心配しないで。
これから私があなたの世話をするからね。」

次第に、それも容赦なく、その人の居場所や人生の役目が奪われてゆく。

病気になったシングルマザーに、家を売って実家に戻って来なさい、と母親が促す。
その言葉に従って実家に戻った娘は、そうすることで自分のアイデンティティーまで失ったことに気づく。
すでに病気によって危うくされている、価値があるという思いが、さらに遠のいていく。

明らかに、病の重い人は、日々の生活の必要を他者に頼らなければならない。
けれども、その人に尊厳を与えていたものをすっかり取り去ってしまうというパターンに、私たちはいともたやすく陥ってしまう。

苦しみの中にある人たちはすでに、世界における自分の居場所について疑問に思っている。
仕事を続けられないことが多く、病気や治療のせいで身体が疲れ、一つ一つの行動も難しくなる。

それでも私たちと同じように、自分にも居場所があること、生活は自分がいなくなってしまうだけでスムーズに運ばなくなること、自分の熟練した注意力がなければ通帳の収支が合わなくなることを思い起こさせるものが必要である。

助けを差し出すことと、助けを差し出しすぎることとの微妙なバランスを、賢明な友人や親類は感じ取っている。

私たちの生きている社会には、病気の人々が自然にいられる「場所」がない。
私たちは彼らを見えないところに、病院や介護施設の壁の向こうに追いやっている。
ベッドに寝かせ、テレビのリモコンだけ握らせて時間を過ごさせている。

「病人invalid」(in-val-id 有効でない、と発音してほしい)のレッテルを貼っている。

病人たちの友人や愛する者は、彼らの居場所を確保する方法を探さなければならない。
ある人たちにとっては、具体的な奉仕活動があるだろう。
ある人たちにとっては、同じ病状の他の人たちを助ける計画的な形態のものがあるだろう。

God Bless You!!


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