2023年8月14日(月)

2023年8月14日(月)


『普通の癒し人』

神ですら、苦しみの理由をヨブに答えるとき、理論で説明しようとはされなかった。
偉大なるダビデ王、義なる男ヨブ、最後は神の御子ですら、痛みに対して私たちと変わらない反応を示された。

みな痛みに後ずさりし、痛みを恐れ、どうにか痛みを和らげようとし、最後は痛みのゆえに絶望し、神に向かって叫び声をあげた。

私としては、痛みを覚えている人のために満足のゆく決定的な答えを見つけられないことに、落胆している。
そうではあっても、別の見方をすれば、答えがないのは実に良き知らせだ。

苦しんでいる人たちに「どなたが助けてくれましたか」と尋ねたとき、これまでイエール神学校の博士や著名な哲学者の名前を出した人はいなかった。

苦しみの王国では皆が等しく苦難を味わい、そこに生き、人々のそばにいる。
それで私たちはだれでも人を助けることができるのであり、そのことは良き知らせなのである。

「苦しみに対する適切な対応」を包んだり、ビンに詰めたりすることは、だれ一人できない。
そして万人に向けられた言葉は、一個人にとって価値がないことがほとんどだ。

苦しんでいる人たちのところへ行って、どのような言葉に助けられるかを尋ねても、一致した答えはないだろう。

明るく助けてくれた友人が病気を忘れさせてくれたことを思い出す人もいれば、そのような態度は侮辱的だと思う人もいる。
正直に、率直に向き合いたいと思う人もいれば、そのような議論は耐えがたく、気持ちを沈ませるだけだと思う人もいる。

主としてそうした人に必要なのは愛だ。
愛は本能的に、必要なものを感じ取るからだ。

ラルシュ共同体運動の創設者ジャン・バニエがそれを的確にこう表現している。
「苦しみや病に苦しみ、傷ついた人々が求めるのは、たった一つのことだ。
苦しむ人々を愛し、その人たちに関わろうとする心、苦しむ人々にあふれんばかりの希望を抱いている心である。」

実際、「傷ついている人々をどう助ければよいのか」という質問への答えは、「どのように愛すればよいのか」という質問への答えと全く同じだ。

苦しむ人々をどのように助ければよいかを教える聖句を聞かれたら、私はコリント人への手紙第一、13章の、愛が雄弁に描かれている箇所を指し示すだろう。

それが苦しむ人の必要としていることだ。
知識や知恵ではなく、愛なのだ。
神はしばしば、普通の人々を用いて癒しをもたらされる。

God Bless You!!


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