2023年8月10日(木)
『後退して近くに』
都会のスラム地区で伝道している二人の友人を訪ね、それぞれに同じ質問をしてみた。
「教会の人たちはきまって、人間は罪を犯したり『後退』したりすると、神との関係を引き裂くことになると言う。
あなたは、毎日失敗しながら生きている人たちのために働いている。
『後退』は彼らを以前より神から引き離すことになったか。
それとも神のほうへ押しやることになったか。」
薬物常用者を助けて働くバドが即答した。
「間違いなく、彼らは『後退』によって神のほうへ押しやられる。
自分自身にも家族にも、どんなにひどいことをしているかを知りながら、薬物に屈する常用者の話をぼくはいくつも語ることができる。
彼らを見ていると、この世における悪の力がわかる。
彼らが何よりも抵抗したいのに、それができない悪だ。
しかしそうした弱さの中にあるときこそ、彼らは最も神のほうを向いて絶望の底から叫び声をあげる。
彼らはひどく失敗した。
だから、どうだというのか。
もう一度起き上がって歩けるだろうか、それとも動かずにそのままでいるだろうか。
神の恵みを通して、幾人かは確実に起き上がる。
事実、一人の薬物常用者が癒され得るかどうかを決定する鍵が一つある。
心底自分のことを、神が赦すことのできる子どもだと信じるかどうかなんだ。
失敗をしない神の子どもでなく、神に赦していただける者だと信じるかどうかだ。」
エイズ患者のホスピスで働くデイビッドも同意した。
「このホームの人々は死と向き合い、病がともかく自分のせいであることを知っている。
ぼくは、彼らほど霊的な人々に出会ったことがない。
薬物使用や性的乱交を通してHIVウィルスに感染した人がほとんどだ。
彼らの人生は失敗そのものだ。
ぼくには説明できないが、この人たちには、他のどこにも見たことのない霊性、神とのつながりがある。」
フランソワ・ド・サルは書いている。
「今や私たち自身が惨めであると知れば知るほど、神の善とあわれみへの確信は、いっそう深くなる。
あわれみと惨めさは密接につながっているため、一方を抜きに他方を働かせることはできないからだ。」
ド・サルはかつて、つまずいた人々をそしったが、その後、自らが彼らと同じ惨めさの中で転げ回る。
「私はなんと惨めなのだろう!
私は何にもふさわしくない!」
神の真の弟子たちは静かにへりくだり、勇気を奮って再び起き上がる。
God Bless You!!
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