2023年5月21日(日)

2023年5月21日(日)


『恵みに向かって落ちる』

恵みは当初、信仰のかたちや信仰の言葉をとって私のもとにやって来たわけではなかった。
私は、「恵み、恵み」としょっちゅう口にしながら、違うもののことを言っている教会で育った。

恵みは、多くの宗教用語と同様、もはや信用できなくなるほどその意味を失っていた。

最初に恵みを経験したのは、音楽を通してだった。
通っていたバイブル・カレッジで、私は変人と見られていた。
人々は公然と私のために祈り、また悪霊払いが必要かと直接聞いてきた。

私は悩み、混乱し、訳がわからなくなった。

部屋の窓から這い降りては、チャペルに忍び込んだ。
チャペルには大きさが約三メートルの、スタインウェイのグランドピアノが置かれていた。

楽譜がかろうじて読めるほどの小さなライトがついているだけのチャペルの暗闇の中で、毎晩一時間ほど、ベートーベンのソナタやショパンの前奏曲、シューベルトの即興曲などを弾いた。

私の指は、触感による秩序のようなものをこの世界に叩きつけた。
精神が混乱していた。
身体も混乱していた。
この世界も混乱していた。

しかし、私はここで、美と恵み、雲のように軽くて、蝶の羽のように衝撃的な、神秘という、隠れた世界を感じていたのだ。

同様のことが自然界でも起きた。
雑然とした考えや人々から逃れるため、よく、ハナミズキの木があちこちに見える松林をかなり遠くまで歩いた。

川に沿ってトンボがジグザグに飛ぶ道筋をたどり、頭上を旋回する鳥の群れを眺め、丸太を割いてその中に玉虫色の甲虫を見つけたりした。

生きとし生けるものに自然が形と場所を与えている、その確かで必然性のある姿が好きだった。
この世界には壮麗さ、偉大なる善、そしてそう、喜びのしるしがある、その証拠を見た。

ちょうどそのころ、恋に落ちた。
それはまさしく「落ちた」感じだった。

耐えられない軽さという状態へと真っ逆さまに転げ落ちるような感じだ。
地軸が傾いた。
私は善や美に対してと同じく、愛に対しても心の準備ができていなかった。
突然、心臓が胸に収まりきらないほど膨らんだような気がした。

私が経験していたのは、神学用語で言う「一般恩寵」だった。
感謝しているのに、その対象がないこと、畏怖の念を抱いているのに崇拝する対象がないのは恐ろしいことだった。

少しずつ、本当に少しずつだが、私は子ども時代に投げ捨ててしまった信仰に戻っていった。

God Bless You!!


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