2023年4月4日(火)
『答えられない祈り』
答えられない祈りについて書いていたとき、高齢者から祈りの話を聞くよう、妻に勧められた。
「お年寄りはたいてい祈るし、しかも長いあいだ祈ってきたのよ」と彼女は言った。
そのとおりだった。
私は妻に同行して、彼女がチャプレンを務める高齢者施設を訪れ、次々と奇跡の話を聞いた。
ある女性は、突然、トランプを終わりにして帰宅しなければという思いに駆られたという。
ドアを開けて家の中に入ると、蠟燭が燃え尽きてプラスチック製の薔薇の花束に引火していた。
すんでのところで火を消すことができた。
もう一人は、第二次世界大戦で命拾いをしたときの驚くべき話をしてくれた。
またある人は、夫が手作りのシナモンロールを喉に詰まらせたときに、ちょうど救急隊員が二人通りかかり、応急処置を施して命を救ってくれたと語った。
世界平和を願い、不正に反対する祈りも聞いた。
ある高齢のアフリカ系米国人は、幼いころから南部で準国民の扱いを受けながらも祈り続けていた、と語った。
彼女が経験した様々な変化を、だれが想像できただろう。
聞かれない祈りについて聞こうとしても、お年寄りはたいてい聞かれた祈りの話をしたがった。
みな家族の悲劇や病について話すこともできたのに、そうした出来事があっても、なぜか彼らの祈りに対する信頼は揺るがなかった。
そのあと、介助の必要な高齢者ケア施設をいくつか巡り歩いた。
施設で寝たきりか車椅子の生活を送っている高齢者にも話しかけようとしたが、彼らの心の光はすっかり消えていた。
彼らが祈りについて学んだどんな秘訣も、取り戻すことのできないところに隠れてしまっていた。
聞かれない祈りに対する唯一の最終的な回答は、パウロがコリントの人々に向けて行った説明だ、と今までになく強く確信し、私は施設をあとにした。
「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。
今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」。
人間は、たとえどれほど賢くても、あるいはいかに霊的でも、決して神の流儀を解明することはできない。
なぜある奇跡は起こるのに、ある奇跡は起きないのか、なぜここでは目に見える介入があるのに、あそこではないのか、説明することはできない。
私たちにできるのは、使徒パウロとともに、ただ待つこと、そして信頼することだけである。
God Bless You!!
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