2023年4月25日(火)
『足を引きずりながら』
〔4月24日の続き〕
トルストイは自分を批判する人々にこう答えた。
神の聖なる理想から私が程遠いからといって、その理想を判断しないでください。
不完全ながらキリストの名を負っている私たちのような者を見て、キリストを判断しないでください、と。
そうした批判者たちに、晩年のトルストイがどのように返答していたのかを、私信の一部が伝えている。
それは、トルストイのたましいの旅路が凝縮されている。
心から信じていた真理を高らかに主張するとともに、自分が十分に実感することのなかった神の恵みを哀しげに語っている。
「『おまえはどうなのだ、レフ・ニコライビッチ。
説教はうまいが、説教したとおりに実行しているのか?』
これはきわめて当然な質問で、常に私が問われていることでもある。
あたかもそれが私の口を封じさせようとするかのように、たいてい勝ち誇って尋ねられる。
『おまえは説教しているが、どんなふうに生きているのだ?』
そして私は、説教などしていない、説教したいという熱い思いはあるが、説教などできない、と答える。
私は行動を通してのみ、説教することができるのだ。
だが、私の行動は堕落している……。
そして、こう答える。
私は罪人であり、堕落している。
説教どおりに生きていないと蔑まれて当然だ、と。
私を攻撃してください。
自分でも自分を攻撃しています。
でも私が従っている道でなく、またそれがどこにあるかと尋ねる人に私が指摘する道でなく、この私を攻撃してください。
私がよく知る帰り道を千鳥足で歩いていても、その道が間違っているとは言えないでしょう?
それが正しい道でないなら、別の道を示してください。
でも、私がよろめいて道に迷っているなら、助けてくれなければいけません。
正しい道に導いてくれなければいけません。
私がいつでもあなたを支えようとしているように、私を間違った方向へ導かないでください。
道に迷ったからといって喜ばないでください。
喜びの叫び声をあげないでください。
「あいつを見ろ!
家に帰るところだと言いながら、よろよろ沼地に入り込んでいる!』などと嬉しそうに眺めていないで、私を助け、支えてください。」
〔4月26日に続く〕
God Bless You!!
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