2023年4月21日(金)

2023年4月21日(金)


『めでたし、めでたし』

聖書の「筋書き」は、始まったまさにそのところで終わりを迎えることが多い。
神と人間との関係の破綻が最後は修復され、創世記3章ののろいが取り除かれる。

ヨハネの黙示録はエデンのイメージを用いて、川といのちの木を描いている。
けれどもこのとき、大きな町がエデンの園の設定に置き換わる。

神を礼拝する者たちが大勢いる町にである。
その場面には影を落とす死も、悲しみもない。

ヨハネは天国を、ユダヤ人の夢がことごとく成就されるところと考えている。
碧玉の壁と黄金に輝く道の走るエルサレムが再建されるのだ。

ある人には——たとえば今日の開発途上国に生きる難民には——天国とは、再会した家族、食べ物ときれいな水がふんだんにある家庭を表すのかもしれない。

天国はあらゆる切望の成就を表している。

ヨハネの黙示録は、切望が単なるファンタジーでないことを約束している。
切望は実現するのだ。
新天新地で目覚めるとき、私たちはついに恋焦がれてきたものを手にする。

そして、どういうわけかヨハネの黙示録のどんな悪い知らせからも、良い知らせが出てくる。
それも、驚くほど良い知らせが生まれるのだ。

純粋に良きものが生まれる約束がどこかにある。
最後はめでたし、めでたしなのだ。

聖書において、天国は後知恵でも、自由に選択する信念でもない。
それはあらゆる創造物が最終的に義と認められることだ。

聖書は人間の悲劇や失望を軽視しない。
これほど痛ましくも正直な書物がほかにあるだろうか。

だが聖書は、「一時的に」というキーワードを付け加えてもいる。

私たちがいま感じていることは、いつまでも続くわけではない。
再創造される時がやって来るのだ。

痛み、崩壊した家庭、経済的困窮、恐れに捕らわれているすべての人に、私たちのすべてに、天国は未来を約束している。

地上で過ごす時間よりもはるかに長く、より実質的な時間。
健康で、欠けたものがない、喜びと平安の時を約束している。

聖書は創世記の中の約束に始まり、未来の現実を保証する同じ約束で終わっている。
最後が始まりになるのだ。

God Bless You!!


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