2023年3月22日(水)
『未来からの眺め』
ジョー・ベイリーという聡明な男性がこんなことを言った。
「光の中で学んだことを、暗闇の中で忘れるな。」
しかし、暗闇が深くなっていくと、私たちが光を思い出すのは稀だ。
それは、イエスの弟子たちも例外ではなかったようだ。
最後の晩餐の間に、イエスは警告するように言い放たれた。
「世にあっては苦難があります。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝ちました」。
そのとき、12弟子のうち11人は喜んで自分の人生をイエスに献げようと思った。
その晩、シモン・ペテロはイエスを守ろうとして実際に剣を抜いた。
それなのに、翌日、11人はみな信仰を失った。
前夜の意気軒高な言葉も、十字架上で苦しむイエスを遠くの安全なところから見たとき、無情にも彼らを苦しめたに違いない。
この世が神に勝利したかに見えた。
11人の弟子はみな暗闇に姿を消した。
ペテロは、この男を知らないと誓った。
もちろん弟子たちの課題は、視点に関するものだった。
そう、かつての光の記憶は消えてしまったが、数日後、その男たちはイースターのまばゆい光に遭遇する。
その日、彼らは、神にとってどんな暗闇も深すぎることはないことを知った。
未来によって現在を判断することの意味を学んだ。
イースターの希望に火がつき、かつての臆病者たちは外へ出て行き、世界を変えた。
今日、世界の半分が聖金曜日とイースターという二つの祝日を祝っている。
あの暗黒の金曜日が、イースターの日曜日の出来事ゆえに、今では「良き金曜日」と呼ばれている。
そしてそれゆえに、クリスチャンは、神がいつかこの星を、神の支配下にある正しい場に立
て直してくださるという希望をもっている。
暗闇に出合うとき、困ったことが起きたとき、私たちがイースター前日の土曜日を生きていることを思い起こすのは良いことだ。
使徒パウロはこう言っている。
「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます」。
ローマ兵らが自分を逮捕しようと武器を留め金で締めていたときでも、イエスは「わたしはすでに世に勝ちました」と力強い言葉を発しておられるが、これは偶然のことではなかった。
イエスは、現在を未来によってどう判断するかを知っておられたのだ。
God Bless You!!
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