2023年3月19日(日)

2023年3月19日(日)


『苦しみのしるし』

なぜイエスは苦しみ、死ななければならなかったのか。
この問いの答えは一冊の本に値し、多くの本が書かれてきたが、聖書にあるのは、最も神秘的な答えだ。

神にとって苦しみは「学習体験」のようなものであったという。
やや異端的に聞こえるが、私はヘブル人への手紙にしたがっているだけだ。

「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び……」。

また、こうも書かれている。
「彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされた……」。

これらの言葉には測り知れない奥義が詰まっているが、受肉は私たちにとってと同じくらい、神にとっても意味があったと言えるはずだ。

もちろん神は肉体の痛みを理解し、脳に害を警告する優れた神経伝達システムを作られた。
けれども、聖霊は肉体の痛みを感じたことがあったか。

受肉するまでなかったのだ。

地上で送った33年の生涯で、イエスは、貧困、家族の喧嘩、社会からの拒絶、言葉による虐待、裏切りを学ばれた。

苦痛についても学ばれた。
金属の付いた鞭で背中を打たれると、どう感じるのか。
筋肉、腱、皮膚に鉄釘を打ちつけられることが、どれほど痛いものなのか。

神は地上でそうしたことを学ばれた。

イエスが来られることで、ある理解しがたい仕方で、神は私たちのうめき声を違ったふうにお聞きになった。
ヘブル人への手紙の記者は、私たちが経験することをすべて神も味わわれたことに驚嘆した。

「さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。
罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです」。

私たちには苦しみの学校を卒業した大祭司がいて、その御方は「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知で迷っている人々に優しく接することができます」。

イエスが来られたので、神は私たちのうめきを心から理解される。
私たちはもはや底なし沼のような深みに向かって、「ねえ、聞いているのですか?」と叫ぶ必要はない。

イエスが地上の人間の一人となることによって、神は私たちのうめき声を聞かれる。
しかも私たちと共にうめき声をあげられることの、歴史の中で目に見える証拠を与えてくださった。

God Bless You!!


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