2023年2月23日(木)
『消え去らない神秘』
種蒔く人の話は、イエスが地上で受けた様々な結果を的確に描き出している。
二千年後の今、カレンダーには当然のごとくクリスマスやイースターが印刷されているが、肉体をもつイエスに向けられたあからさまな不信があっさりと見過ごされているのかもしれない。
隣人たちは、通りで遊ぶイエスを知っていた。
神から遣わされたと信じるには、イエスはあまりにも身近な存在だった。
「この人は大工ではないか。」
彼らは問うた。
「マリアの子でヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。
……この人に与えられた知恵や、その手で行われるこのような力あるわざは、いったい何なのだろう」。
イエスの家族ですら、イエスの不思議と平凡さを調和させることができなかった。
マルコは、イエスの母親と兄弟たちが「イエスはおかしくなった」と思い、イエスを連れて帰ろうとした出来事に触れている。
他の人たちはイエスをどう考えればよいかわからなかった。
イエスを「おかしくなっている」と判断したかと思うと、イエスに無理やり王冠を授けようともした。
預言の書を熱心に読んでいた律法学者やパリサイ人は、メシアがどのような御方か、明確な考えをもっていたはずだ。
ところが、彼らほどイエスに災いをもたらした人たちもいなかった。
彼らはイエスの神学を、生き方を、友の選択を批判した。
イエスが奇跡を行えば、その力は悪魔や悪霊から来ているとした。
イエスは乗っていた小舟が嵐で転覆しそうになったとき、大声で「静まれ!」と嵐に命じた。
弟子たちは恐怖におののいた。
やんちゃな子どもを叱るように嵐を静まらせるとは、なんという人だろう。
この一件で弟子たちは、イエスは地上のだれとも異なると確信するようになった。
その一方で、イエスをどうとらえればよいのかわからなくもなった。
疲れ果てて舟の中で眠ってしまうイエスには、人間の弱さも見て取れた。
初代教会は、神が人になったとき、いったい何が起きたのかを三百年も議論し続ける。
しかし彼らの信条をもってしても、神秘的な感覚は払拭できない。
ある意味で、イエスは他の人と同じようだった。
人種、職業、家庭環境、肉体をもっていた。
そしてある意味で、イエスは宇宙の歴史における全く新しい何かであった。
その二つの言説の間に、決して消え去ることのない神秘が存在している。
God Bless You!!
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